SLの祖
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伝説的な車両
300SL
300SLクーペ
メルセデス・ベンツSLクラスの祖
ガソリン直噴エンジンを搭載するロードバージョン。ボンネットとドア、トランクリッドを除いてスチール製ボディとなり、車両重量は大幅に増加した。フロントはフェイスリフトされ、ボディラインは抑揚のついたデザインとなり、ホイールハウス上のフィンと排熱用のエアベントが追加された。内装も顧客層にあわせて、高級感のある仕様に変更された。
ガルウィングドアを持つ初代クーペモデルは6,820ドルという高額にも関わらず人気車種となった。1957年5月にクーペモデルは生産終了となり、以後はロードスターモデルに移行した。生産台数はクーペが1,400台、ロードスターが1,858台。
今日、300SLはその独特なドアと世界初の技術のためにすべての年代を通してもっとも収集すべきメルセデス・ベンツのひとつとなっている。
300SLのドアはルーフ上にヒンジのある跳ね上げ式で、開放するとカモメの翼のような形状となることからガルウィングドアと呼ばれた。この方式は装飾面からデザインされたのではなく、レーシングカーとしての出自に由来するものだった。
300SLプロトタイプのシャーシは軽量化と強度確保を両立させる目的で、細い鋼管を組み合わせたマルチチューブラー・スペースフレームを採用した。この構造では上下のサイドメンバーが座席の脇を縦貫するため、ドア開口部の「敷居」にあたるサイドシルが高くなってしまった。そこで、レースでの最低限の乗り降りのため、跳ね上げ式ドアを採用することになった。レース参戦時にクレームを受けると、メルセデスチーム監督のアルフレート・ノイバウアは「ドアが横開きに限るとはどこにも書いていない」と主張して承認されたという。オリジナルでは開口部がサイドガラス辺りまでしかなく、サイドシルを大きく跨いで乗り降りしていたが、1952年のル・マン24時間レースに出場した際、主催者から安全面のアドバイスを受けて開口部を拡げた。
この方式は同じシャーシ構造をもつ市販型300SLでも継承された。ステアリングは乗降時にヒザにぶつからないよう、前方に倒れる可倒式とされた。しかし、当時の技術では窓の開閉ができないという欠点があり、室内はエンジンの発する熱が入り込んでかなり暑くなってしまう。リアウインドウに排熱用の機構があるが、あまり機能しなかったとのことである。さらに当時はカーエアコンを自家用車に搭載するという考えもほとんどなかった時代であったため、真夏の運転は過酷を極めた。
性能優先のレーシングカーにおいて乗降性や快適性は重要項目ではないが、女性をエスコートする富裕層にとっては、いささかの問題となった。後のロードスターモデルでは日常的な使用を考慮してフレームが再設計され、ドアの形状・開閉方向が一般的なものとなり、窓も開閉できるようになった。それでも鋼管スペースフレームゆえの開口部の狭さから、乗り降りには多少の慣れを要した。
300SLは市販車としては当時、最速の自動車であった。整備は現在の電子式燃料噴射装置に比べて高度な技術が要求された。機械的な燃料ポンプは点火を止めてもエンジンが停止するまでガソリンを噴射しつづけた。このガソリンは燃焼せずシリンダの壁面のオイルを洗い流し悪影響を与えた。そのうえ、街乗りよりもレースでの効果が顕著な10Lの大型のオイルクーラーを搭載したため、残留ガソリンの蒸発効果が低下してオイルを洗い流すスピードが速まり、約1600kmごとにオイル交換が必要になるなど交換周期はさらに短くなった。クラッチはとても重く、多くのドライバーが次の日、ふくらはぎが痛んだと推測される。後期のロードスターではペダルを踏む力を軽減するためにバネがつけられた。
投稿者:wide at 20:45| お知らせ | コメント(0) | トラックバック(0)